この子はなにか違う・・・
↑のイラストのお母さんと娘の表情がまさにわたしの親子関係を表しているように思われ😅、このテーマについて書いてみることにしました。
私は中学、高校、大学と成長するにつれ「なにか生きづらい・・・」という事象が増え、会社員生活で大きく躓き、結婚生活での挫折を経て、30代で発達障害と診断を受けました。
もう立派な中年期の大人ですし、伝える方が自分にとっても親にとっても負担であり、伝えることで関係が今よりよくなることはないと想定されるため、両親には発達障害であることは伝えておらず、今後も伝える必要はないと考えています。
ですが、やはり普通に就職して、ふつうに結婚して、子どもを産んでということができていない娘なので、友人もいないみたいだし、「この子はなにか違う・・・」という思いはあるというのは伝わってきます。
ふつうにしてあげたいけどできないのです
女の子の発達障害は男の子に比べて見つけられにくいと言いますが、私も、(今思えば困り感は多分にありましたが、)多動が目立ったり、周りの子といざこざを起こしたりということはなく、むしろとても「いい子」でしたので(学校でゴミ問題を学んだその日に町中の空き缶を拾ってアルミとスチールに分けリサイクルの機械にかけるという作業を日が暮れるまでやる等。環境活動家のグレタさんみたいですよね…)、子どもの頃は気づかれませんでした。
中学生くらいから、同級生の女子がするふるまいがうまくできず、社会的コミュニケーションの難しさがあらわれ、困り感が増しました。
スクールカーストが上でも下でもなく、とにかく浮いていました。学校で一番嫌いな時間は休み時間でした。周りの同級生のようにふるまえず、本当ずっと授業してくれればいいのにと中高6年間ず~っと思っていました😅
不登校という選択肢があることも知らなかったので不登校にはなりませんでしたが、一度だけ親に「学校に行きたくない」と言って休んだ日を覚えています。
それは、修学旅行のグループ分けの日でした。
私はいじめられてもいないし、好かれてもいない、ただ居場所/所属のない人だったので(今もですが)、どの班にも入れない人としてどうすればよいか分からず、休んで棄権するしかなかったのです。
You play with the cards You’re Dealt / 配られたカードで勝負するしかない
中学生だったそのときも、結婚してうまくいかず実家に帰ってきていたときも、その他、障害特性に起因する社会性の困難にわたしが苦しんでいるとき、両親はとにかく見守っていてくれていたように思います。
発達障害は遺伝的要因が関係するといいますが、もしかしたら、この不器用さ、社会を渡る能力のなさ、辛さ、悲しさ、悔しさを両親も知っているのかもしれません。
期待に応えられない、うまく世の中を渡っていけない辛さはいつもあります。人それぞれ皆程度の差こそあれさまざまな課題を抱えていると思いますが、自閉スペクトラム症の「社会性の問題」の困難さの大きさに絶望を覚えるときもあります。
そんなときは、スヌーピーの名言「You play with the cards you’re dealt … whatever that means./ 配られたカードで勝負するしかない。それが何を意味していようと」に立ち返ります。
配られたカードに文句を言うよりも、どう使いこなすかが大事。
結局、まだまだ工夫と努力が足りていないだけです。(普通人と同じ努力の仕方ではダメです)
尊敬する人は両親ですとは答えられませんが、感謝と敬意の気持ちをもちながら、自分の人生を前に進めていきたいと思っています(独走の周回遅れですが😅🐌。。)