ヘレンケラー的衝撃を受けるΣ(゚д゚lll)ガーン⚡
大学生の夏休み、アルバイトで貯めたお金で、はじめて自分で手配して海外旅行へ行きました。
暗黒の学生生活(授業を選んで単位を取るというシステムを全く理解しておらず、かつ興味もなければ能力的にも不向きな学部に入ってしまい転部、なんとか5年で卒業)に加え、アルバイト先でも完全なるお荷物(飲食店で一人だけのろますぎて居残りマンツーマン指導)といったぽつねんとした大学生活を送る中で、海外旅行エッセイ本の影響だったか、「面白そう👀✨」と思い、ベトナム→カンボジア→タイ旅行へ行くことにしました🎵
それまで家族旅行や交換留学で海外へ行ったことはありましたが、自分ですべて手配しての海外旅行ははじめてです。
日本→シンガポールの空港に到着したときだったか、乗り換えを待っている間に話しかけてきた知らないおじさんの「いやぁ、Immigrationでつかっまっちゃってね~」と言う雑談の「Immigration」の意味も分からないような状態でした💧
ですので、旅行中、分からないことをたくさんの人に聞き教えていただきました💦(親切な皆様、本当にありがとうございましたm(__)m)
初めは分からないことを聞いて教えてもらうのみでしたが、気づけば「いい天気ですね」とか「日本から来ました。あなたは?」とか、ASDが死ぬほど苦手とする”雑談”を交え、なんとまあ積極的にニコニコと言葉を交わしている自分がいるではありませんか👀…❕
日本ではASDの特性による<失敗>を避けて、できるだけ人と交わらず一人でいる自分のあまりの異なる様に驚きました。
「自分ってこんなに積極的な人間だったんだ!」
それは、ヘレンケラーの「ウォーター!!!!」的衝撃でした。
大学卒業後、海外に就職
以来、学生時代は海外旅行がいちばんの楽しみでした。
海外の様々な環境、生活様式、価値観はそれぞれに新鮮で魅力的でした。
そして何より重要な気づきは、日本にいるときの(<ふつう>ができないことを隠そうとしてどこか負のオーラのただよう陰鬱な💦)自分より、海外にいるときの(オープンで下手な英語なのによくしゃべる)自分を自分が好きと思えたことです。
卒業論文を書き終えたら、気づけば3月でした。就職活動は何もしていません。
「海外へ行きたい」そう思ってネットで見つけた海外の仕事に応募し、就職しました。初任給は4000元でした😅
仕事は、目の下に5cmクマができるほど寝る時間もなく働いたこともあり大変でしたが、楽しかったです。この海外就職は人生で大切な思い出のトップ1かもしれません。(今後それを更新したいと思っていますが)
日本人の同僚とは日本にいるとき同様の感じ(村八分的)でありましたが、中国人、アメリカ人、カナダ人、、外国の方とは仲よく交流でき、<ふつう>の人間関係が築けていたのではないかと思われます。得難い経験ができたこと、助けてくださった皆さんに心から感謝しています。
私的結論:外国の方が生きやすいです(が、日本の制度はすばらしい)
海外就職した中国から帰るとき、恐れながら、我ながら成長した実感がありました。
ですから、「大丈夫。もう、日本でも大丈夫。自分は変わったのだから、成長したのだから、もうどこでもやっていける」と思い/半ば言い聞かせて、日本に戻りました。
で、だめでした😅
自分なりに一生懸命、試行錯誤やり、牛のような鈍足スピードで学習していったのですが、、、、、ドクターストップ(=鬱)になり、再び人生の暗黒期(休職→退職・無職)に入りました。
発達障害者は海外のほうが生きやすいか、という問いへの私の答えは一先ず、「YES」です。現在外資系に勤めている経験からも「YES、その可能性は高い」です。日本の<ふつう>から外れてしまいがちな発達障害者には、多様性が認められる文化は適応しやすいのではと思われるからです。
ですが、たかだか数年の経験であり、特性は十人十色ですので、無責任に勧められるものではありません。
無職になったとき、安心して療養や就職活動に取り組めたこと、今回はじめて障害者雇用を利用させていただけていること等、日本の制度はすばらしいと感じています。海外の制度について、私はまだまだ不勉強です。
ですので、よく情報収集・自己理解したうえで、海外就職や外資系を選択肢のひとつに入れてみるのがよいのではないでしょうか。
女性の発達障害者は「過剰適応」しがちと言います。海外での経験を通しても思われることは、人は自分らしくいられることがいちばん幸せなのではないかということです。
自分が自分らしくいられず過剰に適応しようとして辛くなってしまうよりも、自分が自分らしくいられる場所で、ニコニコ心をオープンに生きられるように、環境や自分のあり方を選んだり、調整したりしていけるといいのかな、、と思います☺🌎💗